作務のある日常に見える
「生かされている自分」

2023年7月20日
 
今回の「一日不作一日不食」は、唐の高僧、百丈懐海(ひゃくじょうえかい)によるもので、
「一日作さざれば、一日食らわず」(いちにちなさざれば、いちにちくらわず)と読みます。
 
百丈禅師は、「百丈清規」(ひゃくじょうしんぎ)という、禅宗寺院における日常生活の規範を
初めて制定したことでも知られています。
これは、それまでの戒律にとらわれることのない独自の視点、発想のもと作られ、
今日ある禅宗の「道しるべ」ともいうべき重要な役割を果たしています。
 
それまで僧侶の日課といえば、坐禅をし、お経を読み、研究や講義など
仏教の教えを深め学ぶこと。
いわゆる生産活動は行わず、生活は托鉢や支援者の施しによって成り立つのが普通でした。

こうした流れの中で、百丈禅師は寺院の日常生活を見直し、生活の主軸として労働する事を取り入れたのです。
これにより、禅が陥りやすい瞑想生活や、現実離れした抽象的観念論に堕ちることなく、
労働を伴う日々の生活全体が修行の基盤となっていきました。
ここでいう労働とは、田畑の耕作や建物の修理、薪の採取や米つき、境内や伽藍の清掃などで、
これらの仕事を行うことを「作務」(さむ)と呼ぶようになります。
 
百丈禅師は高齢になっても、率先して作務にいそしむため、
弟子たちが「もう作務はやめてください」とお願いするのですが、
相変わらず作務の時刻になるとせっせと畑仕事に従事されていました。
禅師の体を心配する弟子たちは、ある時、百丈禅師の畑道具を隠してしまいます。
道具がないので仕方なく、作務をあきらめ室内に戻られた百丈禅師は、
その日から、食事に全く箸をつけなくなります。お加減でも悪いのかと、
心配する弟子たちは、ついに「禅師、これはどうしたわけですか」と尋ねます。
この時返ってきた言葉が「一日不作一日不食」。
「一日畑仕事をしなかった自分には、その日は食事をとるに値しない」と。
 
百丈禅師が身をもって呈したこの言葉は、
しばしば「働かざるもの食うべからず」の意味と混同されがちですが、
「一日不作一日不食」は他者への訓戒ではなく、自分自身の考えであり答えにほかなりません。
地位や年齢がなんであれ、日常の修行としての作務を大切にしたいという、
百丈禅師らしい真摯で強い意志の表れでもあったのでしょう。
 
「住職だより」に戻る