人の心も自然も
「ありのままを受け入れる」
2023年7月5日
「住職だより」を読んでいてお気づきの方もいらっしゃると思いますが、
日常でよく見聞きする言葉の中には、禅宗の教えや心構えを表す言葉、
いわゆる「禅語」が源になっていることが多くあります。
今回の掛軸「平常心(びょうじょうしん)」もそのひとつ。
一般には「へいじょうしん」とも読まれ、普段通り平静な心であることを意味し、
有名な「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」という言葉にもあるように、
普段の心こそが悟りへの道であるということです。
では、「普段の心」とはいったいどんなものなのでしょう。
その教えが、無門禅師のこの詩歌です。
春に百花(ひゃっか)有り秋に月有り。
夏に涼風有り冬に雪有り。
若(も)し閑事(かんじ)の心頭(しんとう)に桂(か)かる無くんば。
便(すなわ)ち是れ人間の好時節(こうじせつ)、と。
春には様々な花が咲き誇り、秋は月が美しい。
夏は暑さの中の涼風が心地よく、冬は寒くとも雪景色が美しい。
もしつまらぬ事柄をあれこれ考え、心煩うことがなければ、
人の生活はいつでも幸せの日々である。
要は人の心も自然も「あるがままに」という導きです。
私は最近、ある出会いによって、
この平常心の深意を思い起こす機会に恵まれました。
その時、「あるがまま」「こだわらなくていい」「自然体でよい」といった、
ありのままを受け入れることができる、柔軟な心を持つことは、
決して容易なことではないとあらためて感じました。
「平常心」の教えが良い方向へ進む時、それは自己肯定につながり、
ひとりひとりが日々強く生きる力へと導いてくれると思います。
※出典『無門関』第十九則
中国・宋時代の禅僧・無門慧開(むもんえかい)による公案集
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