今こそ心に留める
 「足もとを見よ」

2023年5月20日
 
ゴールデンウイークの賑わいなどから、世間はようやく日常を取り戻しつつあるように見えますが、
みなさんはいかがでしょう。
私はこの数年を含めた近年の日本は、戦争や飢饉、疫病が蔓延した中世、特に1200~1300年頃の鎌倉時代とよく似ていると感じてきました。
そんな混沌とした時代だからこそ、あらためて心に響くのが、今回ご紹介する禅の言葉です。
 
「看脚下」(かんきゃっか)
読みくだすと「脚下を看よ(あしもとをみよ)」。
このわずか三文字が示す真意とはどんなものでしょう。
 
11世紀の末、中国の宋の時代のこと。
五祖法演(ごそほうえん)という禅師が、三人の弟子と夜道を歩いていた時のことです。
手にしていた提灯の火が風のために吹き消され、夜道は真暗闇になってしまいました。
師の法演はすかさず、「暗夜、頼みとするあかりが消えた。さあ、どうする?」と弟子たちに問います。
三人の弟子たちは、それまでに鍛え上げたさとりの内容を短い語句で師に告げますが、
法演をいたく感心させたのは、いちばん末弟子の仏果※が答えた「看脚下」でした。
つまり、「今大事なことは足もとを見ることです」と答えたというものです。
 
みなさんは、寺院の玄関などで「看脚下」の文字を見かけたことがあるかもしれません。
これは「足もとを見なさい」から転じて「履物をそろえて脱ぎましょう」という意味なのです。
ですが、この真意はより深く「自分が今立っているところはどこなのか、どういう状況にあるのか。しっかり足もとを見つめ直して事に当たっていきなさい」ということなのです。
よりシンプルに、「大切なことはいつも銘々の足もとにある」ともいえましょう。この教えもさることながら、
私は、法演禅師の「行くべき道を照らす頼りがなくなったら、どうするのか」という問いを、
今の時代に引き寄せて考えずにいられません。
「今までの世の中の常識が全て覆されるような時、あなたはどうしますか」。
こう問われたら、私たちはどのように答えていけるでしょう。
 
 
仏果(ぶっか)…またの名を圜悟克勤(えんごこくごん)。「碧巌録(へきがんろく)」の著作・編集に携わった禅僧のひとり。
 
「住職だより」に戻る